障害者はどう生きる?肢体不自由の障害を持って生きる息子病院との関わり方

障害と共に生きる息子へ

障害1級 難病指定 先天性ミオパチーの長男

2024/5月で31歳

障害者はどう生きる?肢体不自由の障害をもって生きる息子

20歳すぎて

20歳まで生きられないかも?なんて言われたあの日

無事に?20歳超えたよー

数字やデータだけで人の体も人生もわからないもんです

子供医療センター20歳まで

それまで医療センター内で連携があり

ここに通っていれさえすれば何があっても大丈夫のように思ってたのに

20歳過ぎたら急に頼るとこがなくなったような気持ちに

不治の病である大人は

どういう病院でどういうケアを受けるのが1番ベストなんんだろ?

横浜医療センター

子供医療センターの次に通っていたのが

横浜自宅の近く

独立行政法人国立病院機構 横浜医療センター

神奈川県横浜市戸塚区原宿3−60ー2

月1血液の検査して半年に1度ほかにも検査する程度

今のとこ治る病気でもないし

薬があるわけでもない

ただ病気に付随して

呼吸が年々弱くなっている

体の硬直が進んでいるし

ものを噛む力も弱くなった

もうどこまで悪い箇所が増えるの?

ってくらいある

とりあえず今生活できる最低限を保てるように

2015/8 慢性糸球体腎炎の疑い

息子とアメリカへ

大学4年になり

私の父、息子の祖父がステージ4の大腸ガン

しばらく

息子の世話父の看病

の精神が危うくなっていた

父が亡くなって心機一転のため

息子と二人で私の妹が住んでいるオレゴンへ行くことにした

いつも急な思いつき

人生決断が必要な時もある

後先考えず 約3ヶ月行こうと決めた

その間息子は語学学校に通う

平日シェアハウスに二人で止まり

土日はオレゴンのポートランド州にある妹の家にお泊まり

贅沢で刺激的な3ヶ月を過ごした

アメリカは何でも大きい

レストランのテーブルも高さのあるものが多いし

男性用お手洗いも背が高めのものが多く

立ったまま暮らす息子にはありがたい場所が多い

それにいろんな人種が混じっているせいか

息子のような障害ある人も目立つことがない気がした

まさに自由の国

でも

あちらにいる間も

酸素や呼吸器は必須である身

酸素の機械は日本から持参できず

酸素の機会を借りるための

書類や手配に

相当な労力お金がかかった

長い飛行機の移動や

慣れない生活で息子の体自体も心配だし

障害や病気があると海外へ行くのは

ハードルが高い

妹の協力もありなんとか実現できた

あの時期に

思い切って行ったこと

人生1番のいい選択貴重な経験だった

人生短いよ

思い立ったらやったもん勝ち

息子社会人に

なんと

大学4年を経て息子は

社会人になった

まさか大学出て就職までできるなんて思いもしなかった

自分で限界を作らないことが大切と教えてくれる我が息子

あっぱれです!!

就職は

世界一の本の街と言われる

神保町

駅徒歩3分くらいの好立地のおしゃれビルの中*・゜゚・*

とはいえ

横浜在住のままでは自宅から通うのは困難ということで

東京東日本橋に部屋を借り

息子二人で東京で暮らすことになる

それは喜ばしい事だった 

また新たに病院探しに翻弄することになった

国立精神・神経医療センター

2016/3

大学卒業後社会人になる前に

一度自分の体についてよく知りたいと

本人が言って

筋疾患センターで有名な病院に検査入院

国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター病院

NCNP 国立精神・医療センター

東京都小平市小川東町4−1−1

筋疾患診療研究を行なっている

研究部門と連携して正確な診断を行う

息子も筋肉の一部を取り検査してもらった

幼い頃に子供医療センターでも検査したが

それから15年以上経って

改めて検査して何か新しい事がわかればと思った

やはりミオパチーの中でも非常に珍しい型ということだけで

それ以上の詳しいことはこの時代においても医学ではわからない

『今後の医学進歩に期待して』と言われた

残念ではあるが

そう言ってくれるだけまだマシ

これまでの病院通いでは

何度となく冷たい言葉もショックな事も言われた

(いや、現実を言われただけなんだろうけど)

今回のこの検査を最後に

もう痛い思いをするような検査はしなくていいと思った

息子の病気からすると

この病院が一番あっている病院になるだろうが

なんせ遠い

子供医療センターの頃

子供のために近くに引っ越してきた

という話を聞いたことがあるが

家族に大きな障害や病気を持つ人がいる場合

病院の近くで暮らすという覚悟もいる

三井記念病院

東京東日本橋に2年半暮らした頃の病院

社会福祉法人 三井記念病院

東京都千代田区神田和泉町1番地

神経内科

2017/10/13 より外来通院

2018/1 より発熱脱水症

1月26日〜2月2日 入院 ウイルス性上気道炎

日本大学病院

東京都千代田区神田駿河台1−6

2018/8/16 朝の出勤時 会社手前で転倒

右腕骨折

骨折れてもその腕を反対の手で支えることもできないし

第一 転んだら自分で起き上がる事も出来ない

小さい頃は何度も転んで怖い思いをした

20歳超えてからはそこまで大きな怪我はなく来てたが

やっぱり恐れてた事が起きてしまった

右上腕骨骨幹部骨折   
 

2018/8/22 入院

2018/8/23 手術 観血的整復固定術

2018/8/25 退院

なかなか骨が再生されずに10ヶ月近くこのまま

本来は2、3ヶ月で

入れたものを抜く予定だったらしいが

10ヶ月かかっていよいよ抜く事に

2019/5/23 入院 2回目

2019/5/24 骨内異物(挿入物)除去術(上腕)

しかし

骨の付きが悪く時間がかかりすぎ

その間固定していたものが

抜けにくくなった為抜くのは断念

今もそのまま

2019/5/25 退院

仕事は1年近く休暇

船堀橋クリニック

1年休暇してる間に

東日本橋から江戸川区へ引っ越し

東日本橋の家賃は高

会社で家賃補助してもらってるとはいえもう限界で

会社から少し離れてしまうが

江戸川区なら家賃は3分の1

就職して約3年目

またまた

近くで病院探しをしなくては

今度は家に来てもらえる病院 医師を探した

2019年〜

船堀橋クリニック

東京都江戸川区船堀3−7−22

訪問診療

障害者はどう生きる?肢体不自由の障害をもって生きる息子

そして現在

約5年の社会人経験

立ったままで大変な事も沢山あっただろうし

不便な事も我慢した事も辛い事も楽しかった事も

今までにない経験をたくさんしたはず

コロナでしばらくは家からの仕事もしていたが

体にも限界が来ていてやむなく退職

横浜の自宅に戻る

また1から病院探し

紹介状は書いてもらったが病院は自分で探す事になる

何軒か候補はあるがこういう時決めるのってもうしかない

病院がいいとかより

担当の医師との相性というかそういうのが大きいから

横浜南まほろば診療所

2022年/令和4年〜現在

月1回の訪問診療をお願いしている

横浜南まほろば診療所

内科 呼吸器内科 緩和ケア内科 往診・訪問診療

院長 山田英人

戸塚区医師会訪問看護ステーション

2022年/令和4年から

在宅リハビリ開始

障害支援区分申請

訪問介護の方に相談したことから

福祉保健センターの方の勧めにより

障害支援区分を申請

こういうのって自ら行動して相談しなければ情報は入ってこない

同じような病気の人と今までコミュニケートとっていないから

令和6年3月〜

障害支援 区分 5

横浜医療センター

再び家の近くの横浜センターにもお世話になる事に

訪問医療をお願いしてはいるが

この先何か会った時の為

一つでも多く息子の体をわかってくれている病院とつながっていたくて

もう一つの病院として

まほろば診療所から紹介状を書いてもらい

通える範囲で病院通いすることに

車での移動は

福祉生協の車をお願いしてます↓

病院では半年に1度くらいのペースで

筋電図やレントゲンなどの検査をしてもらう予定

あとは

風邪を引くだけでも命取りになる息子にとって

救急で受け入れてくれる病院としてつながりを持っていたいと考えて

横浜市総合リハビリテーションセンター

1ヶ月に1度のリハビリ以外に

もう1箇所

横浜市総合リハビリテーションセンター

横浜市港北区鳥山町1770

2024年現在

リハビリや生活に関する相談などお願いし始めたとこ

これによりリハビリが月に2、3回

病院は2件お世話になることに

今のとこ治せる病気では無いから

不測の事態に備えて

しばらくこの生活ペースで行く予定

あとは病気の進行が進まない事祈るのみ

障害者はどう生きる?肢体不自由の障害をもって生きる息子

これまでとこれから

2024年5月息子は31歳になりました

生まれつきの肢体不自由

これまでの人生大変な事がたくさんあり

幾つも乗り越えて

いくつも病院を変わったりしたので

母である私も本人も

どこでどうしたのか記憶が曖昧になっていた

ここらで1度息子の人生振り返ってみた

振り返ってみたらどの時代も本当に大変だった

よく生き延びてこれたなって今更ながら思う

今仕事を辞めて家で過ごす彼は

母親からすると外に出る危険が無い分心配は減った

けれど

人とのコミニュケーション刺激などの無い毎日が彼にとって幸せなのか?

という思いもある

辛い思いをたくさん乗り越えている息子

まだまだ残りの人生大変な事もあるだろう

辛いことの方が多いかもしれない

けど

この先の人生が

どんな形でもいい

ただ生かされているのではなく

生きている実感のあるものになって欲しいと思う

生まれてきたからには生きてくしか無いから

小さな事も笑って楽しもう

タイトルとURLをコピーしました