2023年8月誕生日に56年生きてきた私の振り返りと感謝を言いたい人

50過ぎの人生日記

昭和42年8月生まれ

今年8月に56歳になりました

なるんだね 私もあなたも56歳に

若い頃には自分がおばさんになるなんて

老眼でメガネかけるなんて

人の名前が出てこなくなるなんて

思いもしてなかったのに

生まれて56年たっただけなのに

時代は変わった

指で回してたダイヤル電話は

携帯できる電話に

電話持ち運べるなんて未知の世界だったのに

若い人にはわかんないよね

今じゃ各自で携帯持って

家電にかかってくるのはほとんど勧誘しかなくなり

数年前に固定電話は取り外した

『ダイヤル回して手をとめたー♪』の歌のように

(これも若い人にはわからんね)

私も好きな人に何度も電話しようとして

最後の番号が回せなくてなんて、、

切ない気持ちでいた時代もあったのに

何にでも迷わず飛び込む性格ですが

恋愛にはとても慎重です

笑うとこです(笑)

毎日ってなんか地味で

大して変わっていないように思うのに

56年たったら

世界も自分も全く思いもしないとこで生きてる

1日って本当に大切だし

小さな判断選択の積み重ね

自分の今いる場所自分自身も変わってくる

って後から知る

私の父と母は若くして周りに反対され 

母19 父21で一緒になり

私が生まれた

なので?

小さい頃は貧乏だった

おばあちゃんの家に預けられたり

父が家に帰ってこなくなったり

おじいちゃんはひどい酒乱

普段はすごく優しいのにお酒飲むと暴れて暴言吐いて

夜中に母と二人で夜の街を逃げ回った事もあった

そんなおじいちゃんも年とってお酒を飲まなくなって

1度会いたいと両親に手紙がきた

私は会いには行かなかった

両親だけで北海道まで会いに生き

『今は幸せそうに暮らしていて穏やかみたいだった』と

後から聞いたが

私の中の酒乱の怖いおじいちゃんは消えることは無かった

なんかそう考えると

悲惨な幼少期だったみたいだけど

取り立てて不便なく短大まで行かせてもらい

両親からはそれなりに愛情かけてもらっていたと思う

23で私が結婚してからは

母が更年期からうつ病

私はそれを理解できる年代ではなくて

衝突ばかりしていた

おしゃれで明るかった母が

暗くてつまらなそうにしているのを見るのが耐えられなかったし

自分に生まれた息子は障害があり

母に『こっちこそ助けてほしい時なのに』

と子育てでいっぱいだった私は不満だらけだった

何年かして母は知らない男と出て行った

残された父には莫大な借金があって

それを返すために色々聞いて回って

父と一緒にいろんなとこへ回ったり

本当に大変で

お金の苦労は絶えなかったけど、

父は父で大好きだった妻に出て行かれて

娘の私には言えない寂しい思いがあったのだろう

と今は思う

しばらくして

は男の地元の川で事故自殺かわからないまま亡くなった

は母の亡くなったことを知った少し後から

体の調子が悪くなり、程なく父も病気で亡くなった

生まれてから56年色々あった

私は歳を重ねたけど

今が一番心穏やかに暮らしているかも知れない

タイムマシーンがあったらどの時代に戻りたい?

ってよく息子と話するけど

また同じ時代を繰り返すのはもう無理だ!って思う

今が精一杯で大変な生活に陥っている人がいても

周りはどんどん変わる、時代も変わる

自分の居場所変えられるのは自分だけ

でも、あがらえない人生もある

腐らずその時代にやれる事やるしかない

若い人に知っておいてほしいな

何年か先の自分は

自分が自分で選択してきた自分だってこと!

そして56になった私は

残りの人生半分もなくなった

この先どうやって生きていくのか

老後も終活も考える年になった

今年は海外在住の妹の家族が日本へ初めて来日した

私の誕生日に合わせた訳ではく

たまたま私の誕生日と重なったのだが

大好きな家族と過ごせた嬉しい誕生日になった

本当に幸せな8月だったな💕

妹家族が日本へ来た際の記事

これからの自分の新しい目標もできた・:*+.\(( °ω° ))/.:+

まだ人には内緒です

◎現在

横浜市在住

主婦 旦那とは家庭内別居中(同じ家に住みながら顔合わせることはない)

夫婦についての記事

一男(体に障害はあるが頭は人一倍切れる冷静な男)

一女(おっとりしているが兄思い、母思いの優しい娘)の母

寝具の店のパート勤務

ブログ始めたばかり2023年7月〜

さて

来年の誕生日に

どんな自分に出会えるかはまた

自分次第

ここまでの人生で感謝の気持ち残したい人

Screenshot

日本とアメリカ離れているけど

いつも電話でバカ言って大笑いしあえる

8歳下のたった一人の いもうと

高校生で一人でアメリカに行き

今ではすっかりアメリカン・ドリーム掴んだ

自慢の妹だよ

今年は妹家族からバッグと手紙もらったよ

父と母はもういないから

いつか近くに住めたらいいな 

姉妹でそばにいれたらいいね

これも夢の一つ

2023年今年は会えた˚✧₊⁎

それだけで幸せ

私の妹でいてくれる事に感謝

いつもありがとー💌

小学2年妹への作文

時代感じるー

妹家族の日本案内にめちや貢献してくれたー

私が死ぬほど方向音痴

物忘れも激しく ダメダメな母でも

いつでも『大丈夫だよ』

って言ってくれる(T . T)

いつも手助けしてくれる

優しい子

Screenshot

私が頼ってばかりで母らしい事何もしてない気がするけど

いつでも一番に応援してるよー

本当にいつもありがとー

息子

もう30歳なんて信じられん

障害がありながらも

たくましく生きてる私の自慢の息子

『ブログ書いてみればいいじゃん』て言ったのも息子で

『どうせ長続きしないんじゃない?』

の声に焚きつけられて

55歳でブログ書き始めた

『腰痛い 首痛い』

と言ってる私を見かねて

素晴らしい椅子もプレゼントしてくれた・:*+.\(( °ω° ))/.:+

ありがとー

50年来の親友 

私より絶対長生きしてほしい人

昔から自然体で生きてる人

私のわがままにもいつも付き合ってくれる人

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なんでも一緒に楽しんでくれる人

ここまでの人生お互いに

いいことも 辛いこともたくさんあった

いろんな事乗り越えてきたね

まだまだ行きたいとこたくさん

まだまだ知らない国もたくさん

一緒に行きたい

50年来の友人との旅行記事はこちら↓

神様がいるなら

彼女と出会わせてくれた事に

本当に感謝する

Screenshot

長い間友達でいてくれて

ありがとー

これからもずーっとよろしくね

誕生日っていつからか

自分のお祝いというより

周りに感謝する日になった

産んでくれた母はもういないけど

『ありがとーっ』て言える人がいる

何より幸せな事💕

と思う56歳の私( ◠‿◠ )

私の過去と父と家族の絆の記憶こちらから

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