昭和42年8月生まれ
今年8月に56歳になりました
なるんだね 私もあなたも56歳に
若い頃には自分がおばさんになるなんて
老眼でメガネかけるなんて
人の名前が出てこなくなるなんて
思いもしてなかったのに
生まれて56年たっただけなのに
時代は変わった
指で回してたダイヤル電話は
携帯できる電話に
電話持ち運べるなんて未知の世界だったのに
若い人にはわかんないよね
今じゃ各自で携帯持って
家電にかかってくるのはほとんど勧誘しかなくなり
数年前に固定電話は取り外した
『ダイヤル回して手をとめたー♪』の歌のように
(これも若い人にはわからんね)
私も好きな人に何度も電話しようとして
最後の番号が回せなくてなんて、、
切ない気持ちでいた時代もあったのに
何にでも迷わず飛び込む性格ですが
恋愛にはとても慎重です
笑うとこです(笑)
毎日ってなんか地味で
大して変わっていないように思うのに
56年たったら
世界も自分も全く思いもしないとこで生きてる
1日って本当に大切だし
小さな判断と選択の積み重ねで
自分の今いる場所も自分自身も変わってくる
って後から知る
私の父と母は若くして周りに反対され
母19 父21で一緒になり
私が生まれた
なので?
小さい頃は貧乏だった
おばあちゃんの家に預けられたり
父が家に帰ってこなくなったり
おじいちゃんはひどい酒乱で
普段はすごく優しいのにお酒飲むと暴れて暴言吐いて
夜中に母と二人で夜の街を逃げ回った事もあった
そんなおじいちゃんも年とってお酒を飲まなくなって
1度会いたいと両親に手紙がきた
が
私は会いには行かなかった
両親だけで北海道まで会いに生き
『今は幸せそうに暮らしていて穏やかみたいだった』と
後から聞いたが
私の中の酒乱の怖いおじいちゃんは消えることは無かった
なんかそう考えると
悲惨な幼少期だったみたいだけど
取り立てて不便なく短大まで行かせてもらい
両親からはそれなりに愛情かけてもらっていたと思う
23で私が結婚してからは
母が更年期からうつ病に
私はそれを理解できる年代ではなくて
衝突ばかりしていた
おしゃれで明るかった母が
暗くてつまらなそうにしているのを見るのが耐えられなかったし
自分に生まれた息子は障害があり
母に『こっちこそ助けてほしい時なのに』
と子育てでいっぱいだった私は不満だらけだった
何年かして母は知らない男と出て行った
残された父には莫大な借金があって
それを返すために色々聞いて回って
父と一緒にいろんなとこへ回ったり
本当に大変で
お金の苦労は絶えなかったけど、
父は父で大好きだった妻に出て行かれて
娘の私には言えない寂しい思いがあったのだろう
と今は思う
しばらくして
母は男の地元の川で事故か自殺かわからないまま亡くなった
父は母の亡くなったことを知った少し後から
体の調子が悪くなり、程なく父も病気で亡くなった
生まれてから56年色々あった
私は歳を重ねたけど
今が一番心穏やかに暮らしているかも知れない
タイムマシーンがあったらどの時代に戻りたい?
ってよく息子と話するけど
また同じ時代を繰り返すのはもう無理だ!って思う
今が精一杯で大変な生活に陥っている人がいても
周りはどんどん変わる、時代も変わる
自分の居場所変えられるのは自分だけ
でも、あがらえない人生もある
腐らずその時代にやれる事やるしかない
若い人に知っておいてほしいな
何年か先の自分は
自分が自分で選択してきた自分だってこと!
そして56になった私は
残りの人生半分もなくなった
この先どうやって生きていくのか
老後も終活も考える年になった
今年は海外在住の妹の家族が日本へ初めて来日した
私の誕生日に合わせた訳ではく
たまたま私の誕生日と重なったのだが
大好きな家族と過ごせた嬉しい誕生日になった
本当に幸せな8月だったな💕
妹家族が日本へ来た際の記事↓
これからの自分の新しい目標もできた・:*+.\(( °ω° ))/.:+
まだ人には内緒です
◎現在
横浜市在住
主婦 旦那とは家庭内別居中(同じ家に住みながら顔合わせることはない)
夫婦についての記事↓
一男(体に障害はあるが頭は人一倍切れる冷静な男)
一女(おっとりしているが兄思い、母思いの優しい娘)の母
寝具の店のパート勤務
ブログ始めたばかり2023年7月〜
さて
来年の誕生日に
どんな自分に出会えるかはまた
自分次第
ここまでの人生で感謝の気持ち残したい人
妹
日本とアメリカ離れているけど
いつも電話でバカ言って大笑いしあえる
8歳下のたった一人の いもうと
高校生で一人でアメリカに行き
今ではすっかりアメリカン・ドリーム掴んだ
自慢の妹だよ
今年は妹家族からバッグと手紙もらったよ
父と母はもういないから
いつか近くに住めたらいいな
姉妹でそばにいれたらいいね
これも夢の一つ
2023年今年は会えた˚✧₊⁎
それだけで幸せ
私の妹でいてくれる事に感謝
いつもありがとー💌
小学2年妹への作文
時代感じるー
娘へ
妹家族の日本案内にめちや貢献してくれたー
私が死ぬほど方向音痴で
物忘れも激しく ダメダメな母でも
いつでも『大丈夫だよ』
って言ってくれる(T . T)
いつも手助けしてくれる
優しい子
私が頼ってばかりで母らしい事何もしてない気がするけど
いつでも一番に応援してるよー
本当にいつもありがとー
息子
もう30歳なんて信じられん
障害がありながらも
たくましく生きてる私の自慢の息子
『ブログ書いてみればいいじゃん』て言ったのも息子で
『どうせ長続きしないんじゃない?』
の声に焚きつけられて
55歳でブログ書き始めた
『腰痛い 首痛い』
と言ってる私を見かねて
素晴らしい椅子もプレゼントしてくれた・:*+.\(( °ω° ))/.:+
ありがとー
50年来の親友
私より絶対長生きしてほしい人
昔から自然体で生きてる人
私のわがままにもいつも付き合ってくれる人
なんでも一緒に楽しんでくれる人
ここまでの人生お互いに
いいことも 辛いこともたくさんあった
いろんな事乗り越えてきたね
まだまだ行きたいとこたくさん
まだまだ知らない国もたくさん
一緒に行きたい
50年来の友人との旅行記事はこちら↓
神様がいるなら
彼女と出会わせてくれた事に
本当に感謝する
長い間友達でいてくれて
ありがとー
これからもずーっとよろしくね
誕生日っていつからか
自分のお祝いというより
周りに感謝する日になった
産んでくれた母はもういないけど
『ありがとーっ』て言える人がいる
何より幸せな事💕
と思う56歳の私( ◠‿◠ )
私の過去と父と家族の絆の記憶↓こちらから